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『白蛇教異端審問』 |
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ブーイングされても、セコンドが逃げても、闘うべき時には闘わなくてはいけない、 言うべき時には言わねばならない、と決意してリングに上がった私はまさしく道化となった。 だが、道化でも構わない。同じようなことがあれば、これからもするだろう。 小説も喧嘩も、すべて「私」という水源から発しているからである。 私は言葉を限りなく大事にする職に就き、言葉と共に生きている。 言葉が私の信仰だ。私は、私の言葉の名誉のために闘おうとしたのだが、 相手は言葉などに全く責任を感じない人々だった。 やはり、これは宗教戦争だったのだろう。 |
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作者のコメント |
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デビューして、今年で十二年目になります。デビュー十周年を記念して、エッセイ集を出そうと言っていただいたことがありました。
その企画が流れ、ようやく刊行された次第ですので、ひと区切りついた安堵感があります。 初出は様々ですが、主に新聞に書いたものが多いです。ただ、新聞というメディアは読者が幅広いので、あまり掘り下げてマニアックに書くことは許されません。 テーマも身近な時事に関した物が多く、その点では、普段と違った私をお見せすることになるのかもしれませんね。 タイトルとなった「白蛇教異端審問」は、連載当時、随分と物議を醸したエッセイです。今となっては、懐かしい感じがしますが、当時は必死でした。 これで仕事を干されて、消えても仕方がない、と覚悟して書いたのです。周囲を見回しても誰も視線を合わせてくれない、編集者に相談しても明言を避けられる、 など辛い思いを沢山しましたし、連載は急遽八カ月で打ち切りという羽目にもなりました。そして、出版さえできない状態でした。 しかし、作家としてはいい経験、いや、しなければならない経験だったと思います。あらゆる責任を負い、覚悟を決める、という意味においてです。 (インタビュー・構成 ミッシー・鈴木) |